コロナ下のぶらぶら旅 ささしまライブ駅その5 路地裏トンネルを抜けて長松寺へ 境目のない広場から砂上の楼閣を眺める 飛び出し注意君が導く次のメッセージとは?

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2021年 1月3日

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美しい、ゆるやかな末広がりの「ハの字」カーブを描く瓦屋根。
目が覚めるほど白い壁を区分けする、真新しい木の梁。

こんもりと生い茂った、冬でも葉を残す常緑樹の大木。

その間に顔をのぞかせる、
高さ約170m、地上37階建ての高層タワー。

そしてそれらをすべてまとめあげ、際立たせるかのごとくの、
綿雲をちりばめた透き通る青空。

ここはいったいどこなのでしょう?
ここに立つと、
広々とした青空のもとで、心が解き放たれていくように感じます。

この場所が、伝統と歴史、最先端と自然が一つに入り混じり、
新たな風景を作り出していることだけは確かです。

しかしここは名のある観光地ではありません。
このブログでは基本的に観光地には行きません。
ここは地元に住んでいる人しか知らないような、
ただの路地裏の一角にある、普通のお寺です。


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入口はこの細い路地です。
両側がコンクリートブロックの、
まるで異世界へのトンネルのような路地です。

前回は線路脇に広がる、
背の低い民家が密集した地区をぶらぶらしました。

車の入れない細い路地が家々をつなぎ、
まるで集落全体が一つの大きな家であるかのような
感覚を味わいました。

そして最後にたどり着いたのが、この路地です。


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トンネルと抜けると、道幅が広くなり、
それまでと違って、長い塀と広い敷地と庭を持つ、
大きな家が目立つようになります。


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黒板張りの長い塀が、広い敷地を取り囲んでいます。
お寺ではないようなので、個人のお宅のようです。
いわゆる旧家ですね。

道路に面した様は、まるで旧街道沿いのようです。


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この旧家が途切れる角から小路を挟んで、
また別の黒板張りの塀が始まります。


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今度こそお寺ですね。
慈峰山長松寺とあります。


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長松寺は近鉄米野駅から、
入り組んだ路地を抜けた先にあります。
地図上で見ると、どの方角から入るにせよ、
入り組んだ路地を抜けていかなければなりません。


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密集した住宅地の中で、
長松寺のあたりだけスペースがあるのがわかります。
あたかも入り組んだ路地裏の中に、
ぽっと開けた広場のような感じですね。


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立派な山門を入るとすぐに、赤い前掛けをしたお地蔵さんが
目に飛び込んできます。


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近寄ってみると、お地蔵さんではありませんね。
頭部を見ると観音様です。
もともとここにあったのか、
点在していたものを集めたのかはわかりません。

よく見ると同じような石材を使い、
同じようなデザインです。
造られてからの時間のたち方も同じようです。

また、観音様の一つ一つに番号が振られ、
そのうちの一つに、「十八番 六角堂」と
読みとることができます。

「十八番 六角堂」といえば
西国三十三所観音霊場の第十八番札所、
紫雲山頂法寺(六角堂)のことです。

これらのことからこの石仏群は、
西国三十三所観音霊場を一度にお参りできるようにするために、
同じ時期に造られ、おそらくは同じ場所に置かれたものと思われます。


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境内に足を踏み入れると、
思った以上に中が広いことがわかります。

まさに長松寺は路地裏の中の広場ですね。
まわりを取り囲む、背の低い密集した家々の中で、
ここだけ広々とした空間が広がっています。

見た感じは全然違いますが、
例えばイタリアなんかの旧市街を歩いていて、
ごちゃごちゃした路地の奥で、
突然小さい教会のある広場に出くわした、
あの感じです。

ここに来るまで入り組んだ路地裏や、
どこまでも連なっている家々の間を歩いてきたので、
なんだか解放されて、ほっとするような感じになります。

同時に何か、落ち着かないような、足元が確かでないような、
不安定で頼りない気分にもなってきます。


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その違和感の原因はおそらくこれです。

長松寺の東側は
黒塗り板の立派な塀で区切られているのですが、
こちら西側には塀がありません。

境内の西側は境目なく、
直接道路や密集家屋とつながっているのです。

それはまるで長松寺の西側一帯がすべて
お寺の境内であるかのようですし、
また逆にこれらの背の低い昔ながらの住宅地の一部に、
長松寺が飲み込まれてしまっているかのようです。

お寺というものが周囲とは異なる時間、空間、
価値観の中にあるとしたら、
つまり非日常にあるとしたら、
その周りに広がる住宅地は日常です。
お寺の塀はいわばその日常と非日常の境目をなしているのです。

ところがもし、お寺の塀がないとしたらどうでしょうか?
もしもお寺と住宅地を分ける塀がないとしたら?
おそらくは日常と非日常の境目がなくなり、
あいまいになって、入り混じってしまうかもしれません。

日常の中に、ひそかに非日常が入り込んできて、
ふと気が付いた時には、
今まで信じてきたもの、確かだと思っていたものが、
砂上の楼閣のように崩れ去ってしまうかもしれません。


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振り返ると本堂の甍の向こうに
ささしまライブの高層タワーが見えます。

空に向かってどんどん伸びていく、
あのタワーが砂上の楼閣でないと誰が言えるでしょうか?


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さて、そうはいっても楼閣が崩れるにはまだ時間がありそうです。
それまでの間、つかの間のBSTを楽しむとしましょう。

長松寺の境目のない西側から道に出て、
さらに西にぶらぶらしていきます。
路地裏の角を曲がったところに八百屋を発見です。
今日だけ休みなのか、
もうやめてしまったのかはわかりません。


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ちょっと飛び出し注意君に聞いてみましょう。

飛び出し注意君、君だいぶくたびれてるね。
それに手作り感満載だし。

「いや、そこじゃないだろ、聞くところ」

ああ、そうだった。
この八百屋さん、今日は休みなの?
それとももうやめちゃった?

「縁起でもないこというな。
まだやってるぞ。
たまたま今日が休みなだけだ。

まあ、あれだけどな。
やってるからと言って、
お客がわんさか来るってわけでもないんだけどな。

ほら、この先にマックスバリューができたろ。
みんなそこに行ってるよ。
ここに来るのは近所のおばあちゃんくらいかな。

でもな、昔は違ったんだぞ。
昔はな、こんな店しかなかったから、
みーんなここで買い物してた。

そのころはこのあたりも賑やかだったな。
子供がその辺の路地を走り回って遊んでた。

そこで俺の出番もあったというわけだ。

こらこらそこのガキども、飛び出し注意!」

そうなんだ。
ところで飛び出し注意君、
子供のくせにおっさん臭いしゃべりだね。

「おっさんいうな。
とはいっても俺はもう40年はここに立ってるけどな。

やすだ君がまだ小学生の頃、
夏休みの宿題で俺を作ったんだよ。」

やすだ君?

「この八百屋の子供だよ。
もうおっさんだけどな。

安田君が子供のころ、裏の長松寺ではよく縁日がやってたな。

たませんのソースで口のまわりを真っ黒にした子供や、
ひみつのあっこちゃんの袋にはいった綿菓子を
楽しそうに抱えた親子が、店の前を行き来してた。

みんな貧乏だったけどな、楽しかった。
俺だって絵具が足りなくて、塗りが適当だけど、
なんか楽しそうだろ。」

ありがとう、飛び出し注意君。
僕はもう行くね。

「そうか、もう行くのか。
俺はこんな感じで今にも駆け出しそうだけど、
本当はここから一歩も動けないしな。

そうだ、一ついいことを教えよう。
俺みたいな看板に話しかけてくれたお礼だ。

この道を西に行った次の角を右に曲がれ。
そこに次のメッセージがある。
きっとお前の役に立つはずだ。」

メッセージ?

「まあ行けば分かるさ。
じゃあな、車に気をつけろよ。
飛び出し注意!」


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飛び出し注意君の指示に従って、
八百屋の前の道を西に行った次の角を右に曲がります。

するとすぐに立派な鐘楼があるお寺が見えてきます。
飛び出し注意君と違ってきれいに塗られた塀の切れているとことが、
入口のようです。


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山門脇の掲示スペースに何か書いてあります。

「自分のモノサシで問うのではなく
自分のモノサシを問う」

まさかこれが次のメッセージ????

次回に続きます。


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